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東京地方裁判所 昭和56年(ワ)4700号 判決

原告

伊原大二郎

右訴訟代理人弁護士

水谷昭

金子健一郎

細田良一

片岡義広

被告

玉川機械金属株式会社

右代表者代表取締役

吉野恭二

右訴訟代理人弁護士

大島淑司

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  原告

1  原告と被告会社との間に雇用関係が存続することを確認する。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告

(本案前の申立て)

本件訴えを却下する。

(本案の答弁)

主文と同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  被告は、肩書地に本社を置き、金属の圧延、鋳造やこれらの加工及び販売を主たる目的とする株式会社であり、会津若松市に生産工場を有している。原告は、昭和三三年四月一日被告会社に入社し、昭和四一年四月一日から本社鋳造部鋳造第一課課長代理、同年一二月二五日から同課課長として勤務していた。

2  被告会社は三菱金属株式会社の関係会社であったが、被告会社、三菱金属及びその関係会社である日本防蝕株式会社との間で、被告会社の鋳造部門と日本防蝕のメッキ部門をそれぞれ分離し、これらを統合した新会社を設立する旨の話が進められ、昭和四一年七月一日、神奈川県足柄上郡開成町に本店を置く玉川ダイカスト工業株式会社(以下「玉川ダイカスト」という)が設立された。

3  原告は、被告会社から昭和四二年五月三一日付けで玉川ダイカストへ出向を命ずる旨の業務命令を受け、同社へ出向、着任した。この出向は、被告会社の従業員としての地位を引き続き有することを前提に出向するものであった。

4  ところが、被告会社は、原告との間の雇用関係の存続を認めず、原告を被告会社の出向社員として待遇しない。

5  よって、原告は、被告に対し、原告と被告会社との間に雇用関係が存続することの確認を求める。

二  本案前の抗弁

後記のとおり、原告は玉川ダイカストへ転社したものであるが、被告会社は、これに対し出向に準じた取扱いをすることを約束し、給与や賞与の支給や退職金の計算方法などにつき、実際上も今日まで既に約二〇年間にわたって被告会社の出向社員に等しい待遇をしてきている。したがって、原告が現在に至り改めて形式上の身分の確認を受けたとしても、被告会社に対しこれ以上の新たな給付請求権が生じる余地はないから、本件訴えには確認の利益はない。原告のように係争利益(転社命令に基づく利益)の現状に不満な者がその変更を要求するのは、給付の訴えによるべきである。

三  本案前の抗弁に対する原告の主張

被告は、原告が被告会社の出向社員として待遇するよう再三申し入れてきたにもかかわらず、被告会社の従業員としての原告の地位を認めず、かつ、原告を被告会社の従業員として待遇していない。したがって、原告が被告に対し雇用関係が存続することの確認を求める訴えの利益が存することは、明白である。

四  請求原因に対する認否

1  請求原因1及び2の事実は認める。

2  同3の事実は否認する。

3  同4の事実は認める。

五  抗弁

1  被告会社は、その経営を再建するために、自社の不採算部門である鋳造部門を切り捨て、同部門の物的・人的設備の全部を一体として新設の玉川ダイカストへ移転することを決定した。そこで、被告会社は、鋳造部門の管理職であった原告に対しても、昭和四二年五月三一日付けで玉川ダイカストへの転社を命じた。一般に原告ら管理職は特別の協定がない限り就業規則条項について包括的に同意しているものとしてこれに拘束されるものであるが、被告会社の就業規則によれば、被告会社は業務上の都合によって従業員に対し一方的に出向又は移籍(転社にも準用)を命ずることができ、この命令に不満な従業員は正当な理由があればそれを拒むことができると定められている(四七条)。ところが、原告は、転社命令に対してこの抗弁権を行使せず、異議なく玉川ダイカストに赴任したのであるから少なくとも転社に消極的に同意した。したがって、原告の雇用契約上の地位は、これにより玉川ダイカストに移っている。

2  被告会社は、原告ら管理職を転社させるに際しては、鋳造部門の従業員約七〇名を転社させるについて説得に当りその同意を取り付けた労苦に報いるなどの理由により、次のように実質上は出向に準じた取扱いをすることを秘密裏に約束した。

(1) 給与及び賞与は玉川ダイカストが支給するが、計算上被告会社の給与基準による額の方が多額になった場合には、被告会社がその差額を補償して支給する。

(2) 退職金については、退職時に玉川ダイカストが同社の計算方法により算出した額を支給するのを原則とするが、被告会社の退職金計算方法によって算出した額の方が多額になる場合には、身分を被告会社の従業員に戻した形をとって被告会社が退職金を支給する。

(3) もし玉川ダイカストが倒産したり経営不振となって解雇された場合には、被告会社に復帰させる。

そして、被告会社は、今日まで約二〇年間この給与及び賞与の差額補償を行ってきており、原告も、転社を前提とした差額補償であることを明白に知りながら異議なくこれを受け取ってきている。したがって、原告は被告会社の転社意図を容認ないし黙認してきたものということができる。

3  被告会社は原告ら管理職との信頼関係の上に立って秘密裏に出向扱いとし、今日まで約二〇年間給与及び賞与の差額補償をしており、原告もこれを了知して差額を受領してきているのに、現在に至って転社でなく出向であると主張することは、それ自体不信義な主張であるとともに矛盾した行為であり、信義則(禁反言則)上許されるべきではない。

六  抗弁に対する認否

1  抗弁1の事実は否認する。原告は、玉川ダイカストへの出向命令を受けたのであり、その際、被告会社から労働組合との合意内容との関係でやむを得ず管理職も書類上は転社扱いとする旨の申入れを受けたので、この便宜的扱いを了承したにすぎない。原告は、玉川ダイカストへ転社し被告会社の従業員としての地位を失う旨の説明を受けたことも、これに同意したことも一切ない。

2  抗弁2及び3の事実中、給与及び賞与について原告が被告会社の給与基準による額と玉川ダイカストの給与基準による額との差額の支給を被告会社から受けていることは認めるが、その余は否認する。原告は、昭和四六年四月ころから、被告会社に対して出向社員として待遇するよう再三にわたり申し入れてきた。

第三証拠関係

本件記録中の書証目録及び証人等目録に記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  本案前の申立てについて

本件訴えにおいて、原告は、出向社員として被告会社との間の雇用関係が存続していると主張するのに対し、被告はこれを争い、原告は被告会社から転社して雇用関係は終了していると主張する。そうすると、現在原告と被告会社との間に雇用関係が存在するかどうかを確定することによって、その雇用関係の存否を前提として派生する個々の紛争を抜本的に解決し得るものというべきであるから、本件訴えは確認の利益を有する。

もっとも、後記認定のとおり、被告会社は原告に対し、給与、賞与や退職金の支給に関して被告会社との雇用関係が存在するのと同等の取扱いをしているのであるが、これは事実上の取扱いにすぎないし、雇用関係は多数の権利義務を包摂する継続的関係であるから、その存否を前提として派生する紛争はこれら給与等に関するものにとどまるものでもない。

したがって、被告の本案前の申立ては理由がない。

二  本案についての事実関係

請求原因1及び2の事実、抗弁2及び3のうち給与及び賞与について原告が被告会社から被告主張の差額の支給を受けていることは、当事者間に争いがない。

そして、(証拠略)及び原告本人尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すれば、更に次の事実を認めることができる。

1  被告会社の鋳造部門は、製造関係が会津若松工場鋳造課で、営業関係が本社鋳造部で行われていたが、その採算性は非常に悪く、膨大な赤字を出していた。そのため、被告会社は昭和四〇年三月期には無配に転落し、このままでは被告会社全体の経営が危機に陥ることが懸念された。そこで、被告会社は、鋳造部門を被告会社から切り離したうえ、同部門の再建を図るため、親会社である三菱金属株式会社の資金援助を受けて、同部門と被告会社の鋳造製品のメッキ作業を行っていた日本防蝕株式会社のメッキ部門とを集約して一つの新会社とし、そこにおいて鋳造からメッキまでの一貫操業態勢をとることとした。こうして、昭和四一年七月、玉川ダイカストが設立された。

2  玉川ダイカストの設立により、被告会社の鋳造部門は廃止されることとなり、その機械設備、資材等の一切が玉川ダイカストに譲渡され、同部門の従業員もこれと一体となって玉川ダイカストに転社(被告会社を退職し、新たに玉川ダイカストとの間の雇用関係に入るもの)することとなった。しかし、玉川ダイカストは赤字部門が切り離されて設立された会社であって、その経営には不安があり、また、転社に伴って神奈川県への転居を余儀なくされたため、鋳造部門の一般の従業員は、被告会社のこの方針に強く反対した。そこで、被告会社は、同年一〇月ころから、被告会社の従業員で組織される玉川機械金属労働組合連合会(以下「組合」という)との間で玉川ダイカストへの転社について団体交渉を重ね、これと併行して、原告ら管理職は、被告会社の方針を受けて、個々の従業員に対して玉川ダイカストへの転社に応じるよう説得に努めた。そして、昭和四二年三月ころまでに、本社、工場合わせて約七〇名の従業員が転社に同意し、被告会社と組合との間で転社の条件について確認書が取り交わされた。

被告会社と組合との間で確認された転社の条件の主なものは、次のとおりであった。

(1)  玉川ダイカストが万一経営不振に陥り、企業の継続が不可能になった場合、転社者は全員復社させる。

(2)  転社時点での玉川ダイカストにおける基準内賃金は、現行基準内賃金を下回らない。

(3)  退職金は、転社時点において精算し、会社都合として一〇〇パーセント支給する。このほか転社一時金を支給する。

玉川ダイカストへの転社に同意した一般の従業員は、この条件の下に、同年六月一日までに全員が転社した。転社に同意しなかった者は、本社や会津若松工場内の他の部門に配置転換された。

3  一方、被告会社は、原告ら鋳造部門の管理職についても同様に玉川ダイカストに転社されることとしたが、これに対しては、一般の従業員の転社条件とは異なり、被告会社との間の雇用関係を存続させたまま出向する場合に準じて、次のような取扱いをすることとした。

(1)  玉川ダイカストが経営不振に陥り、企業の継続が不可能になった場合に復社させることについては、一般の従業員の場合と同じである。

(2)  給与及び賞与については、玉川ダイカストにおける支給額よりも被告会社の基準によって算出される額のほうが多額になる場合は、被告会社がその差額を補償して支給する。

(3)  退職金については、被告会社と玉川ダイカストとの勤続年数を通算して玉川ダイカストが同社の基準により支給するが、被告会社に同年数だけ勤続した場合に被告会社から支給されるべき額のほうが多額になる場合には、被告会社がその額を支給する。

被告会社が管理職に対してこのような取扱いをすることとしたのは、玉川ダイカストにおいても給与等の待遇面に不安を抱くことなく鋳造部門の再建に全力を注ぐことを期待したためと一般の従業員の転社について説得に努力したことに報いるためであった。ただし、被告会社は組合との前記団体交渉の過程で、管理職も一般の従業員と同じ条件で転社する旨の説明をしていたため、この管理職に対する特別の取扱いは秘扱いとするものとされた。

こうして、原告ら管理職に対しては、同年五月三一日付けで「玉川ダイカスト工業株式会社に転社のため解職する」との辞令が出され、原告は、同年六月一日から玉川ダイカストで勤務することとなった。

4  以後、原告ら管理職の給与及び賞与については、玉川ダイカストが自らの査定に基づき一定の格付けをして支給し、これとは別に、被告会社は、さきの特別の取扱いとして、まず玉川ダイカストからその格付けや支給額の通知を受け、これを自社の基準に従って一定の位置に当てはめて給与や賞与の金額を算出したうえ、これと玉川ダイカストが支給する額との差額を、各管理職の個人の銀行口座に直接振り込む方法で秘密裏に支給していた。そして、原告は、今日に至るまで、被告会社からこの差額の支給を受けてきている(もっとも、昭和五八年の夏期賞与は玉川ダイカストから支給された額のほうが被告会社の基準による額よりも多額となったので、このときだけは差額の支給が行われなかった。しかし、このときも、玉川ダイカストの支給額が多い分だけの差額を被告会社に返還するようなことはなかった)。

退職金については、原告らの転社時点において、会社間で、転社管理職の退職金として被告会社の基準により算出された額が玉川ダイカストに支払われる処理がされ、また、原告と共に玉川ダイカストに転社した加藤尚文(当時本社鋳造部鋳造第三課長)が昭和四五年に退職した際には、被告会社に勤続した場合に支給されるべき退職金額のほうが多額であったので、その地位をいったん被告会社の従業員に戻したうえで被告会社が退職金を支払い、会社間では、加藤の退職金として玉川ダイカストの基準により算出された額が被告会社に支払われる処理がされた。

三  原告の地位についての判断

この認定事実によれば、原告は辞令の文言どおり玉川ダイカストに転社したものであり、これにより、原告と被告会社との間の雇用関係は終了し、新たに原告と玉川ダイカストとの間に雇用関係が生じたものといわなければならない。

原告は、原告が受けたのは出向命令であり、転社は書類上の便宜的な扱いにすぎないと主張する。そして、原告本人は、昭和四二年五月末ころ、被告会社の貫井民治総務部長から、組合に対しては管理職も転社すると説明したが実際には出向で玉川ダイカストに行ってもらうとの説明を受けて了解したものであり、玉川ダイカストにおける給与等の取扱いがどのようになるかの説明はなかったし、転社の辞令の交付を受けた際にも、長谷川直吉人事課長から、組合との関係で辞令上の表向きは転社という表現が使ってあるが実際は出向であるとの説明を受けた旨供述し、証人加藤尚文も同旨の証言をする。また、証人上形弘は、原告らより先に出向で玉川ダイカストに行き後に転社の辞令を郵送で受けたが、その際に改めて転社することやその条件についての説明は何もなかったし、この辞令は組合対策上の措置であると聞き、真実は出向のままであると了解していた旨証言する。

しかし、当時の被告会社の鋳造部門は、これを一体として玉川ダイカストに移転して再建を図り、被告会社では同部門を廃止せざるを得ない状況にあったのであり、原告ら管理職は、この被告会社の方針を受けて、一般の従業員に対し転社に応じるよう説得に努めていたのである(これらの点は、原告本人も認めるところである)。また、証人吉野誠一の証言によれば、当時被告会社においては、玉川ダイカストへの身分の移転について管理職だけを特に取り上げて協議したことはなかったことも認められる。そうすると、このような状況にあって、被告会社が管理職だけは転社でなく、被告会社との雇用関係を存続させたまま出向させるという方針を有していたものとは認め難いから、さきの原告本人の供述や加藤、上形証人の証言をそのまま信用することはできず、他に原告主張のような出向であることを認めるに足りる証拠もない。原告らが貫井総務部長らからどのような説明を受けたかは明らかではないが、証人吉野誠一の証言に照らすと、そこに出向という言葉が出たとすれば、むしろ、鋳造部門の従業員は管理職も含めて玉川ダイカストに転社することを当然の前提として、ただ管理職に対しては、前記認定のような出向の場合と同等の取扱いをするという趣旨の説明がされたものと推認することもできるのである。

更に、原告は、玉川ダイカストへの転社に同意したことはない旨主張し、原告本人は、この点につき、実務責任者として鋳造部門の実情をよく知っており、新会社については経営者以上に不安をもっていたので、転社というのであれば絶対に了解しなかったと供述する。

しかし、原告は、鋳造部門の管理職として、同部門を巡る当時の状況やその再建のための被告会社の方針を十分に理解していたものであるから、単に一般の従業員を転社に応じるよう説得するだけではなく、自らも率先垂範して転社し、玉川ダイカストにおいて鋳造部門の再建に全力を尽くすことが要請される立場にあったといわなければならないし、前記二3の(1)ないし(3)のような出向に準じた取扱いがされるならば、玉川ダイカストの経営に不安があったとしても格別の不利益を被ることもないのであるから、転社であれば了解しなかったというのは理解し難いところである。そして、原告は転社の辞令に従って玉川ダイカストに移り、以後今日に至るまで被告会社から給与及び賞与の差額支給を受けてきているというのであるから、原告は、仮に転社に積極的に同意したことはないとしても、少なくとも黙示的に転社に同意しているものといわなければならない。

もっとも、(証拠略)及び原告本人尋問の結果によれば、原告は昭和四六年ころから、玉川ダイカストの歴代社長を通じ、被告会社に対して原告の身分関係を明らかにするよう度々申し入れていることが認められる。しかし、同証拠によれば、これは、原告が玉川ダイカストの社宅への入居を申し込んだ際に被告会社の基準による額よりも高い社宅料を支払うべきことを告げられたのに端を発し、その他原告が被告会社の行う永年勤続表彰の対象とされなかったことなどがあって、原告が被告会社の従業員と実質的に同じ取扱いを受けていないことに不満をもったためであって、原告が玉川ダイカストに移って勤務していること自体に異議を述べているわけではないことが認められるから、原告が被告会社に対しこのような申し入れをしているからといって、転社に同意していないものとすることはできない。

四  結論

よって、原告の本件請求は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 片山良廣)

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